生徒くんが、生物の進化の話に大層な興味を示しました。
話が盛り上がり、なぜか「いじめ良くない」という人生哲学を語る流れになりました。
「生物は何のために進化するんですか?」
という哲学めいた質問を頂きました。
諸説ありますが、自然選択説に照らせば、進化は目的ではなく結果に過ぎません。
例えば、今この瞬間に、「二重まぶたの人にだけ感染する致死率99%の難治性の病原菌」が世界中に蔓延したとしましょう。
二重まぶたの人口が減り、一重まぶたの人口割合が相対的に増えます。
一重まぶたの人の間での交配が増すので、次世代も一重まぶたの人が多くなります。
何代も何代も世代が移る間に、やがて人類は一重まぶたに集約されます。
これをもって、「人が一重まぶたに進化した」ということです。
生き残るために進化するのではなく、生き残った結果進化したわけです。
また、進化のきっかけとして、「突然変異」があります。
突然変異は偶然に起きますが、それが環境に適した変化であれば、その特性を持った個体が生き残りやすくなります。
そして代を重ねるごとにその特性が当たり前のものとなっていき、やがてそれが進化と呼ばれるようになります。
生物は、偶然の命のリレーを続けてきたためか、その偶然を逆手にとって命を存続していこうという流れが出来上がっています。
それが 多様性の追求 です。
画一的な特性だけでは、突然の脅威に対抗できません。
先の病原菌の例えでは、もし世界に二重まぶたの人しかいなければ、病原菌が蔓延した時点で人類滅亡です。
一重まぶたの人もいたからこそ、人類は滅亡しなかったのです。
これを受けて、若人くんと「いじめ良くない」の話をするに至りました。
主旨としては、
肌の色が違ったり、癖っ毛だったり、世の中にはいろんな特性を持った人がいる。 それは多様性を確保しようとした人類の生存戦略の結果ともいえる。 ゆえに特性による差異は、尊重するべき差異である。 その特性を理由に個人を攻撃することは、人として以前に生物としてあるまじき行為である。
よって、「いじめ良くない」となった次第です。
最後の方はかなり論理が飛躍した気もしますが、生徒くんも「なるほど」と納得してくれたようでした。
(^^;)
人の尊厳 (時として命) に関わることなので、生物を学ぶ傍で思い巡らせてみてもいいかもしれません。
(^^)
新潟の家庭教師
野上直行
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